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サークルを作るより、続ける方が難しかった。みそ汁サークルを立ち上げて
2026年1月、私は「東京大学みそ汁サークル」を立ち上げました。みんなでみそ汁を作り、いずれは駒場祭にも出展したい。そんな構想から始めたサークルでした。
ただ、実際に活動できたのは4月と5月の新歓3回まで。今は活動していません。振り返ると、サークルを立ち上げるところまでは進められても、それを続けていくのは思っていた以上に難しかったです。今回は、立ち上げから活動が止まるまでを振り返ります。
「卒業しても続くサークル」にしたかった
きっかけは、周りにサークルを立ち上げた人が複数いたことでした。それを見て、自分も何か作ってみたいと思いました。
テーマに選んだのが、みそ汁です。私はみそ汁が一番好きな食べ物で、具材や作り方の違いも含めて研究しがいがあると思っていました。みそ汁に特化したサークルも、少なくとも私は聞いたことがありませんでした。
いろいろなみそ汁を作って検証したり、他のサークルとコラボしたり、秋の駒場祭で販売したり。「みそ汁と言えば東大」と言われるようになりたい、世界にみそ汁を届けたい、とまで考えていました。
そこは夢に近かったですが、本気で考えていたのは、自分が卒業しても続くサークルにすることでした。
副責任者はいた。でも、結局ほぼ一人で動いていた
最初は、授業で話したときに「面白そう」と言ってくれた人と2人で始めました。その人には副責任者になってもらいました。
ただ、相手が忙しかったこともあり、実際の活動にはほとんど参加していません。2026年に入ってからは一度も顔を合わせておらず、結果的には副責任者として名前を貸してもらっただけのような状態になりました。
もともと仲の良い友人ではなく、たまたま授業が一緒になった人だったので、こちらから仕事を頼むのも難しかったです。運営はほぼ一人で進めていました。
私は別のサークルで新歓担当をした経験があります。それでも、すでにあるサークルの新歓と、何もないところから新しいサークルを作るのは全く違いました。「これはいけそうだ」という感覚はなく、戸惑いしかありませんでした。
今振り返ると、打ち合わせも兼ねてご飯に誘うくらいはすればよかったと思います。副責任者だけでなく、もっと早い段階で他の人も巻き込みたかったです。
好きな具を聞いて、3回のみそ汁新歓を開いた
1月に新歓へ申し込み、テント列とサーオリに当選しました。その後、4月と5月に計3回、目黒区内の住区センターで新歓を開きました。
毎回、参加者に好きなみそ汁の具を聞き、それをもとに私が買い出しに行きました。人気だったのは、とうふ、わかめ、ねぎ、なめこなど。参加者と一緒にみそ汁を作り、ご飯も炊いて食べました。
私はみそ汁作りには慣れていたので、調理中はある程度指示を出しながら、一緒に手を動かしていました。
参加人数は、記憶では1回目が8人ほど、2回目が5人ほどだったと思います。ただ、ここは正確には覚えていません。
3回目は、自分を含めて3人でした。
3回目は3人。追加募集をしても増えなかった
3回目の参加者は、私と新入生2人でした。参加フォームを集計していたので、開催前から人数が少ないことは分かっていました。
「あまりにも少なくてまずい」と思い、公式LINEでもう一度募集しました。
「今回の新歓は参加者が少なくなっています。大学・学年問わず、参加を歓迎しております。友人を連れてくるなども大歓迎ですが、その場合もフォームの記入をよろしくお願いします。」
それでも参加者は増えませんでした。全然集まらなくて、かなり焦りました。
新歓自体は予定通り開催しました。ただ、自分を含めて3人しか来なかったことで、ここでかなり気持ちが切れてしまったのだと思います。
その後も「時間があるときに、6月くらいにまたできたらいいな」とは考えていました。でも、「また人が集まらなかったら」と思うと憂鬱でした。
入りたい人はいた。それでも次の活動まで進めなかった
新歓では、「入ります」と言ってくれた人も6人くらいいました。ただし、名簿を作ったり名前を控えたりしていたわけではありません。
新歓に来てくれた人には公式LINEを追加してもらっていて、「また活動に参加してね。そのうち入会フォームを作るから、それを記入して入会してね」と伝えていました。本入会の段階になったら、公式LINEでフォームを案内するつもりでした。
一方で、運営では日程調整、場所取り、参加フォームの作成、参加者の集計、食材の購入、告知作成などを一人でやっていました。「次に何をするか」「いつ、どこでやるか」も自分で決めなければなりません。
自分自身が忙しかったこともあり、だんだん準備すること自体が面倒になりました。そこに「また人が集まらなかったら」という気持ちも重なって、次の活動を企画しないまま止まりました。
今年の駒場祭への出展も考えていましたが、そこまで活動を続けることはできませんでした。実質一人で運営していたことや、3回目の新歓を経てやる気が落ちていたこともあり、出展に向けて動くところまでは進みませんでした。
もう一度やるなら、最初に「運営する人」を集める
もしもう一度サークルを立ち上げるなら、最初にやるのは協力者探しです。
実際に一緒に運営する人を集め、そのメンバーだけで一度ご飯に行って、決起集会のような場を作りたいです。そこでそれぞれの担当を決め、私は全体を見るリーダーになる。さらに、定期的にオンラインで定例を開き、タスクやスケジュールを整理しながら進めたいと思います。
今回のサークル立ち上げは、私の中では失敗でした。駒場祭に出展するところまで行けず、自分が卒業した後も続くサークルにするという目標にも届いていません。
それでも、自分で一からやってみたことで、サークルを作ることの難しさは分かりました。
失敗だったけど、いい経験になった。今はそう振り返っています。
※本記事の掲載情報は最新ではない、または正確でない可能性があります。最新情報は必ず大学の公式ウェブサイトやUTAS等でご確認ください。
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理科二類で入学、気づけば文転し長期インターン漬けだった話
「東大に入ったら、最先端の研究ができる」
理科二類で入学したとき、僕もぼんやりそう思っていました。でも実際の大学生活は、想像とはだいぶ違うものになりました。今回は、研究より長期インターンに軸足を置いていた僕の話と、いま振り返って思うことを正直に書きます。
理二で入学、でも研究にのめり込めなかった
入学当初は、周りと同じように理系の道を進むつもりでした。
ただ、授業が進むにつれて、少しずつ違和感が出てきました。周りには本当に理系分野が好きで、放っておいても勉強してしまうような人たちがいる。彼らと比べたとき、理解度以上に、熱量に差があることを感じるようになりました。
「自分はこの分野を突き詰めたいんだろうか」。そんな疑問を抱えたまま、研究への足は自然と遠のいていきました。
軸足は長期インターンへ
そんな僕が力を入れるようになったのが、長期インターンでした。
インターンの世界は、手を動かせば成果が出るし、成果が出れば評価される。研究で感じていたモヤモヤとは対照的に、手応えがはっきりある環境でした。ここでの手応えが楽しくて、気づけば生活の中心はインターンに。研究や勉強の優先順位は下がっていき、結局、僕はそのまま文転する道を選びました。
よかったこと:「新卒1年目」を先取りできた
この選択に、良い面はたくさんありました。
長期インターンでは、ビジネスメールの書き方から、タスクの進め方、報連相、成果へのコミットの仕方まで、普通なら新卒1年目に叩き込まれるようなことを、学生のうちに一通り経験できました。
就活でも、これは明確に効きました。語れる経験があるだけでなく、「働くとはどういうことか」の解像度が高い状態で企業選びや面接に臨めたのは、大きなアドバンテージだったと思います。
それでも思う。「研究」をもっとやっておきたかった
ただ、いま振り返ると、別の感情もあります。
研究とは、営利目的ではなく、純粋に好奇心を突き詰める行為です。「役に立つか」ではなく「面白いか」「知りたいか」だけを基準に、一つの問いを深く掘っていく。そんな時間が許されるのは、人生の中でも大学というごく限られた期間だけです。
当時の僕は、その楽しさに気づけていませんでした。のめり込めないからと早めに距離を置いてしまい、研究の面白さを味わう手前で降りてしまった。社会に出ることを先取りするより、社会に出たらできないことをやっておく。そういう考え方もあったのではないかと、いまになって思います。
過去の自分に言うなら、「研究、もうちょい頑張ってみたら」
もしタイムマシンがあって、当時の自分に一言かけられるなら、こう言います。
「研究、もうちょい頑張ってみたら」
インターンをやめろとは言いません。あの経験が就活やその後に活きたのは事実だからです。ただ、もう少しだけ研究に向き合ってみてもよかった。その先に、好奇心を突き詰める楽しさが待っていたかもしれないから。
これが一般論として正しいのかは、正直わかりません。インターンに全振りして成功する人もいれば、研究に没頭して道を拓く人もいます。ただ、少なくとも僕にとっては、「やらなかった後悔」が残ったのは研究のほうでした。
いま同じような状況にいる人——研究にのめり込めず、別の場所に居場所を見つけつつある人——には、この記事が進路を考える一つの材料になれば嬉しいです。
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東大合格者は「効率より地道」だった――自作単語帳と3日間の模試復習が教えてくれたこと
東大生の勉強法というと、「分厚い単語帳を隅々まで暗記している」「無駄な時間は一切省いて、とにかく効率重視」というイメージを持っている人が多いかもしれません。僕もそういうものだと思っていました。少なくとも、受験生のころの僕は。
でも実際には、そのイメージとはけっこう違うやり方で東大に来ました。市販の単語帳は網羅しようとせず、模試が終わったあとは3日間ずっと復習に充てることもありました。効率的かどうかで言えば、よく分かりません。
これはあくまで一人の体験談なので、「こんな人もいるんだ」くらいの気持ちで読んでもらえると嬉しいです。
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模試が終わったその日に自習室へ向かって、東大型の模試なら3日間かけて復習することもあった
模試が終わると、僕はその日のうちに高校か予備校の自習室に移動して、復習を始めていました。
それまで問題集や過去問に使っていた勉強時間も、すべて模試の復習に回します。東大の二次試験形式の模試では、3日ほどかけることもありました。
以前の僕は、間違えた問題の解説を読んで「なるほどな」と思えば、それで復習は終わりでした。でも、それだけでは同じところでまたつまずく。「分かった気になる」と「実際に解ける」のあいだには、思っていたより大きな溝があったと思います。
だから復習のやり方を変えました。長文で引っかかった箇所があれば、まず自分で辞書を引いて「こういう意味ではないか」という仮説を立てる。その仮説が正しいか確かめるために、最後に解説冊子を開きます。時間が足りなかった問題は、模試後に時間無制限で答えまで出しきる。そして「なぜ時間が足りなかったのか」まで考えます。計算が複雑になりすぎたのか、途中でミスをしてやり直したのか、原因はそれぞれ違うので。
せっかく本気で向き合った問題だから、「全部の蜜を吸う」つもりで復習していました。
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覚えられなかった単語だけを、手のひらサイズのメモ帳に書き続けた
英単語は、自作の単語帳を使っていました。高校の先生に勧めてもらったのがきっかけです。
手のひらサイズのメモ帳の左側に英単語、右側に日本語。それだけです。市販の単語帳から分からない単語を写していくのではなく、授業・模試・過去問・問題集で実際に読んだ文章の中で、理解できなかった単語だけを書き込んでいました。
大事にしていたのは、網羅しようとしないことでした。
後からその単語を見ると、「あの文章でこんなふうに使われていたな」という記憶と一緒によみがえってくる。単語帳にはそのメモは書いていないのですが、文脈ごと残っている感じがして、僕に
は合っていたようです。
単語帳は実際には2冊使っていて、最初に書き込む用のものと、その中でもなかなか覚えられない単語だけを抜粋したものがありました。完璧に覚えたと思った単語は消して、また新しいものを書き足す。電車の中や食事中、テスト直前にもよく見ていました。
それが正解だったのかは、今も正直よく分かりません。もっと体系的に覚えた方が良かったのかもと思うこともあります。
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数学は、手詰まりになるまで考えることを自分に課していた
数学では、答えが出せなくても、できるだけ自分の頭で考え続けることを大切にしていました。
以前は問題を解いて解説を読み、「分かった」と思ったら終わり。でも同じミスを繰り返すうちに、それでは意味がないと気づきました。
だから練習では、手詰まりになるところまで考えることにしました。何分考えたら答えを見る、という明確なルールは作りませんでした。「もうこれ以上は出てこない」と感じるまで粘る、というくらいの感覚です。
正解までたどり着けなくても、本気で考えた後なら「自分に何が足りなかったのか」を分析できます。方針が思いつかなかったのか、整理できなかったのか、場合分けを見落としたのか、計算ミスなのか。同じ「解けなかった」でも、原因はまったく違う。そこを曖昧にしたまま次の問題に進んでしまうのが、かつての僕の悪い癖でした。
「解けなかったのが悔しい」「次は絶対に速く解いてやる」と思えるくらい問題にのめり込む。定番のアドバイスとしては「効率よく多くの問題をこなすべき」というものをよく聞きますが、僕には合いませんでした。一問にかける時間が長くなっても、その分だけ深く刻まれる感覚があって、そっちの方が力になったと思っています。
地道にやることが、僕には合っていたのかもしれない
振り返ると、自作の単語帳も、数学で粘ることも、模試をすぐ復習することも、全部「その場しのぎにしない」という点では同じだったと思います。効率よく多くをこなすというよりは、一つの問題に対して自分がどこで詰まったのかを確かめながら進む。そういう感覚です。
これが速いやり方かと言われると、そうじゃないかもしれません。一問に長い時間をかけるわけですし、模試の復習に3日使ったら、その分だけ問題集は進まない。東大を目指すなら効率重視が当然、というイメージとは、だいぶ違うと思います。でも僕には、こっちの方が合っていました。
「分かった気になる」のをやめようと意識し始めたのがいつだったのかは、正直よく覚えていません。気づいたらそうなっていた、という感じです。
受験生のころの僕に言えることがあるとすれば、やり方は一つじゃないということです。合う方法は人によって違うと思うので、この記事を読んで「自分はこうじゃなかった」と感じた人も、それはそれで正しいのかもしれません。
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講習を3つしか取らなかった浪人生が東大に受かるまで
東大生と聞くと、毎日何時間も机にかじりついて、参考書を積み上げて、夏期講習も冬期講習もフルで申し込んで、という姿を想像する人が多いのかもしれません。僕自身、浪人を始めるまではそんなイメージを持っていました。
でも実際にやってみると、僕の一年間はずいぶん違うものになっていた気がします。理科二類の2年生で、地方の公立高校出身です。大手予備校で一浪して東大に入りましたが、夏期講習は3つしか受けませんでした。周りの人が講習を重ねる中、空いた時間は自習に充てていました。
受験勉強に「これが正解」と言える方法はないと思います。ここで書くのは、あくまで一人の人間の体験談です。「こんなやり方の人もいるんだ」くらいの気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
夏期講習は3つだけで、それでも後悔しなかったのは自習に手応えがあったから
経済的な事情もあって、夏期講習の受講数はかなり抑えました。チューターの方から受講を強く勧められることもそれほどなかったので、結果的に夏も冬も3つずつくらいになりました。これはおそらくかなり少ない部類だと思います。
空いた時間は、授業テキストの復習に使いました。これが後悔しなかった一番の理由だと思っています。
単語帳をやめて、授業テキストのメモ帳を持ち歩くようにした
英語の勉強で一番変わったのは、単語帳を使うのをやめたことかもしれません。
代わりにやっていたのは、授業で扱った長文に出てきた知らない単語や語法を、メモ帳サイズの小さいノートに書き写していくことです。単語だけを抜き出すのではなく、その文章でどんなふうに使われていたかを自分の言葉で添えて書いていました。
電車の中でも、昼ごはんを食べながらでも、そのノートをよく開いていました。単語帳と何が違うのかと言われると正直うまく説明できないのですが、「あの文章でこんな使われ方をしていた」という記憶の引っ張り出し方が、僕には合っていた気がします。長文を読むときも、どこかで見た単語に自然と気づけるようになっていった印象があります。
地理と現代文の授業を切って、代わりに自習室に行っていた
授業をほぼ全部出ていた一方で、2つだけ切っていた授業があります
一つは、校舎内で多く設定されていた現代文の授業のうち、東大形式ではなく地元の大学向けに近い内容のもの。形式が違うなと感じたので、その時間は自習に回していました。
もう一つは共通テスト地理で、延長が多いうえに地理は高校時代にすでに得意だったので、途中から行かなくなりました。
それ以外は、体調不良や外せない用事を除いてほぼ全部出ていたと思います。
「授業はすべて出席するべきだ」とよく言われるし、それはそうだとも思うのですが、全部の授業が自分に合っているとは限らない、というのが正直な感想です。ただ、これは地理が得意だったからできた判断で、誰でも同じようにしていいということではないと思います。
リスニングだけは、市販の参考書を毎日少しずつ使っていた
予備校の授業でリスニングはほとんど扱われなかったので、ここだけは自分で参考書を用意しました。東大のリスニングには苦手意識があったので、毎日少しずつ進めることにしていました。
やり方は、問題を解くというよりも同じ音源を何度も聴く、という感じです。解いた後にオーバーラッピングをして、シャドーイングをして、少しスピードを上げてもう一度聴く。同じ文章を繰り返し英語に慣れることを意識していて、単語を潰すよりも全体の意味をとらえることとスピードに慣れることを優先していました。
どの参考書だったか、書名が今すぐ出てこないのが申し訳ないのですが、東大英語のリスニング対策として市販されているものを使っていたと思います。
まとめ
朝7時に起きて、8時ごろに家を出て予備校へ向かう。授業を受けるか自習をして、20時ごろに切り上げて帰る。冬は昼食後に眠くなるので、11時にひとまずおにぎりを食べて、お弁当は16時ごろに回す。友人と昼ごはんを食べたり、休憩スペースでとりとめのない話をしたりする。そういう一年でした。
「効率的な浪人生活」と呼べるものかどうかは、正直よく分からないままです。単語帳を使わず、模試のあとは数日それだけに使い、数学は時間を決めずに考え続ける。夏も冬も講習は少ししか取らない。誰かに勧められてやっていたというより、やってみてしっくりきたものを続けていただけで、それが積み重なって一年になった、という感覚があります。
ただ、英語の復習と模試の消化については今でも「やってよかった」と思っています。それから、数学で分からない問題から逃げずに向き合い続けたこと。苦手なものと向き合うのは気持ちのいいものではないですが。
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「自分には才能がない」と思ったことはある?」
「自分には才能がない」と思ったことはありますか?
そう聞かれると、少し答えに困います。
自分に才能がないと思ったことは、たぶんあまりありません。
ただ、「上には上がいる」と思わされたことなら、何度もあります。
小2で知った、「自分がいた世界は狭かった」
最初は、小学校2年生のときでした。
転校する前の学校では、僕はクラスで一番勉強ができる方でした。自分はそれなりにできる子なんだ、という感覚もあったと思います。
ところが、転校先の学童で、友達が「塾の宿題」と言いながら僕の見たことのない問題を解いていました。中学校で習うような内容だったと思います。
しかも、そういう子が一人だけではありませんでした。
「自分もできると思っていたけれど、それ以上にできる人が何人もいるんだ」
それまで自分がいた世界が、急に小さく見えました。
もっとも、今振り返ると、小学生くらいまでの学力差には環境の影響もかなり大きいと思っています。
塾に通っているか、年上の兄弟がいるか、家で先の内容を教えてもらえるか。特に中学受験では、早くから専用の勉強をしているかどうかで差がつきます。
当時は「自分よりずっと頭のいい人がいる」と見えていた差にも、そうした背景はあったのかもしれません。
地元で誰も敵わなかった子が、東京では落ちた
小学校6年生で中学受験のために塾へ通い始めると、そこにも圧倒的に勉強ができる子がいました。
テストではいつも全教科1位。
特に覚えているテストがあります。
解き終わった人から答案を提出し、満点ならその場で退出できる形式だったのですが、その子だけが早々に立ち上がりました。そして本当に満点を取って、一人で教室を出ていきました。
僕から見れば、誰も敵わない存在でした。
その彼が、東京のトップ校を受験して落ちたと聞きました。
「あの人でも受からないのか」
かなり衝撃でした。
彼に勝てる人が、日本にはそんなにいるのか。自分がこれまで見ていた範囲は、やっぱりものすごく狭かったんだなと思いました。
自分が日本のトップレベルと対等に勝負するなんて、とても無理だろうとも感じました。
高校では、「勉強ができる」とは違う強さを見た
高校に進むと、「敵わない」と感じる相手の種類が増えました。
一人は、宇宙物理が好きで、科学系の部活でずっとシミュレーションや研究をしていた友達です。
一度発表を聞いたことがありますが、僕には何を言っているのかほとんど分かりませんでした。
受験勉強にすべてを捧げているようには見えなかったのに、受験では「数学と物理は全部解けた」と話していました。
僕が一番敵わないと思ったのは、点数そのものよりも、そこまで一つのことを好きになれることでした。
自分には、あそこまでの熱意はない。
別の友達は、とにかく努力を続けられる人でした。
高校1年生のころから、学校の図書室で一人黙々と勉強している姿を何度も見ました。集中しているときは、少し話しかけづらいほどでした。
それを何年も続けている。
これも、自分にはなかなかできないことでした。
ただ、そんな人たちを見て「悔しい、絶対に追いつこう」と奮起したわけではありません。
「すごいな。自分とは違うな。敵わないな」
だいたい、それで終わりです。
圧倒的に上の相手を見て、劣等感を抱くこともあまりありませんでした。
むしろ、完全に勝てない人より、今は自分がわずかに勝っている相手に追い抜かれる方が嫌かもしれません。
東大に入っても、「敵わない人」は普通にいた
その後、僕は東京大学に入りました。
でも、東大に受かったことで「やっぱり自分は頭がいいんだ」と思ったわけではありません。
僕にとって東大合格は、必要な準備をして、やれることをやった結果です。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
そして東大に入ってからも、「この人には敵わないな」と感じる人はいました。
ただし、その理由はもうテストの点数ではありませんでした。
たとえば、社会問題について自分なりの意見を持ち、それをきちんと自分の言葉で話せる友達がいました。
あるとき僕も意見を聞かれたのですが、答えに詰まりました。
知らなかったわけではありません。
そもそも、その問題について「自分はどう考えるのか」を考えたことがなかったのです。
その友達は、何が好きなのか、何がおかしいと思うのか、何をやりたいのかを、普段から自分で考えていました。
近くにいるのに、どこか遠い人でした。
僕もこうなりたいと思いました。
ほかにも、大学内の制度やプログラムを次々に見つけ、それを実際の経験につなげていく友達がいました。
情報を知っているだけではない。見つけた機会に応募して、実際に海外まで行ってしまう。
サークルを立ち上げたり、民間のプロジェクトに参加したり、留学したり、資格を取ったり、創作に打ち込んだりと、次々に行動する友達もいました。
高校までなら「難しい問題を解ける人」を見て敵わないと思っていました。
大学に入ると、自分で考えられる人、チャンスを見つけて動ける人、興味を行動に変えられる人にも同じ感覚を抱くようになりました。
では、自分には何があったのか
大学1年生のころ、ふと考えたことがあります。
小学生の自分が見たら「とても敵わない」と思うような人たちと、なぜ今、自分は同じ大学にいるのだろう。
そこで初めて、自分の強みらしきものを考えました。
僕は昔から、学んだことを別々に覚えるより、違う知識同士をつなげて理解することが得意だったように思います。
授業で習ったことが、別の授業や日常生活で知ったことと結びつく。そうすると、単純に暗記したものより長く頭に残ります。
一方で、記憶力が抜群だったわけでも、計画的だったわけでもありません。周りの「勉強ができる人」と比べれば、要領も決して良くなかったと思います。
それでも、いろいろなものに興味を持ち、ばらばらの知識を自分なりにつなげていくことは得意だった。
それが自分なりの強みだったのかもしれません。
才能がないというより、「上には上がいる」
今の僕は、才能を「持っている能力を、どれだけ生かせているか」だと考えています。
人には得意なことも苦手なこともあります。
一点だけを比べれば、自分より圧倒的に優れている人はいくらでもいる。
数学で比べれば負ける。努力量で比べても負ける。行動力で比べても負ける。
でも、全体を見れば、自分には自分の強みがあります。
だから、「自分には才能がない」とはあまり思いません。
上には上がいる。
それは、小学校2年生のころからずっと変わりません。
ただ、昔と違うのは、他人の青い芝生を見るだけではなく、自分の芝生に何が生えているのかも、少しずつ分かるようになってきたことなのだと思います。
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東大合格で自信は変わった?
東大合格で自信は変わった?——「個人戦の自信」と「チーム戦の自信」は別物だった
「東大に受かったら自信がつきますか?」
受験生からよく聞かれる質問です。結論から言うと、確実に変わりました。ただし、変わった自信と変わらなかった自信があります。今回はその両方を正直に書きます。
変わったこと①:「一つやり切った」という成功体験
まず大きかったのは、人生で初めて明確な成功体験を踏めたことです。
高い目標を掲げ、長期間それに向かって準備し、結果を出す。この一連の流れを一度経験できたことで、「自分は目標を達成できる人間だ」という土台のようなものができました。この土台は、その後何かに挑戦するときに毎回効いてきます。
変わったこと②:「コツコツ続けられる」という自信
受験勉強は、派手なひらめきよりも地道な反復の積み重ねです。毎日決めた分を淡々とこなし、できなかった問題を潰し、少しずつ穴を埋めていく。
この過程を通じて、「自分は地道に努力し続けることが得意だ」という自信がつきました。あわせて、「努力すれば高い目標にも手が届く」という実感も得られました。これは根拠のない自信ではなく、実際に一度やってみて確かめた実感なので、簡単には揺らぎません。
変わらなかったこと:「人と協力する」自信
一方で、人と協業することへの自信は、東大合格では特につきませんでした。
考えてみれば当然で、受験は徹底した個人戦です。自分で計画し、自分で勉強し、自分で答案を書く。誰かと役割分担をしたり、意見をすり合わせたり、チームとして成果を出したりする場面はほとんどありません。
つまり東大合格は「個人戦が得意である」ことの証明にはなっても、「チーム戦が得意である」ことの証明にはならないレースだったのです。
その結果、就活ではややビハインドした
このギャップは、就活で明確に表面化しました。
企業が見ているのは、個人の学力よりも「他者と協力して成果を出せるか」です。グループディスカッションやチームでの課題では、個人戦で培った自信がそのまま通用するわけではなく、正直なところ、周囲に比べてやや出遅れていると感じる場面がありました。
「東大に受かったのだから何でもできる」と思っていたら、そうではなかった。この気づきは、少し痛いものでした。
それでも最終的に効いたのは、受験で身につけた「基本動作」
ただ、ここで受験の経験が別の形で効いてきました。
チーム戦が苦手だと分かったなら、学んで、努力して、改善する。受験で身につけたこの基本動作を、そのままチーム戦にも適用したのです。うまくいかなかったグループワークを振り返り、何が足りなかったかを言語化し、次の場で試す。これを繰り返すうちに、少しずつ手応えが出てきました。
そして何より大きかったのは、「苦手なことでも、学び・努力・改善のサイクルを回せば伸びる」ということを、受験に続いて二度目に実感できたことです。個人戦で得た自信が、チーム戦という別のフィールドでも再現できると分かった。これは東大合格そのもの以上に、大きな収穫だったと感じています。
まとめ:東大合格で得られるのは「努力の再現性」への自信
東大合格で自信は変わります。ただしそれは「自分は何でもできる」という万能感ではなく、「自分は目標に向かって努力し、改善し、達成できる」という、努力の再現性への自信です。
その自信が直接カバーしてくれない領域(たとえばチーム戦)は必ずあります。でも、そこで身につけた基本動作は、どの領域にも持ち込めます。受験生の皆さんには、合格そのものだけでなく、その過程で身につく「やり方」にも価値があることを覚えておいてほしいと思います。
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現役東大生に聞いてみた「高1のとき何をしていた?」
「東大生って、高1から毎日何時間も勉強していたんでしょ?」
そんなイメージを持っている人も多いと思います。でも、少なくとも僕はそうではありませんでした。
今回は、公立高校から現役で東京大学理科二類に合格した僕が、高1のときに実際にどんな生活を送っていたのかを書いてみようと思います。
もちろん、人によって勉強法は違います。あくまで一人の東大生の体験談として、「こんな人もいるんだ」くらいの気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
授業をちゃんと聞いて、定期テストはしっかり頑張っていた
高1の頃は、受験勉強というより学校の授業を大事にしていました。授業はちゃんと聞いて、定期テストでもいい点数が取れるように勉強していました。
「定期テストなんて受験には関係ない」と言う人もいますが、高1に関しては結構意味があると思っています。というのも、高校の勉強って積み上げだからです。
特に数学や英語は、高1で基礎を身につけておかないと高3でかなり苦労します。難しい参考書に手を出すよりも、まずは学校の内容をしっかり理解すること。それだけでも十分価値があります。
軽音部にかなり力を入れていた
勉強ばかりしていたかと言われると、全然そんなことはありません。むしろ高1の頃は軽音部にかなり力を入れていました。
ライブに向けて練習したり、友達とスタジオに入ったり。今振り返ると、高校時代の思い出は勉強より部活の方が多い気がします。
東大生というと「高校時代は勉強しかしていなかった」というイメージを持たれることがありますが、実際には部活も遊びも楽しんでいた人は結構多いと思います。
高1は思い出を作ることも大事
これは今だから言えることですが、高1は結構遊んだ方がいいです。
もちろん勉強をしなくていいという意味ではありません。ただ、高3になると受験勉強で自由な時間はかなり減ります。
だからこそ、高1のうちは友達と遊んだり、文化祭や体育祭を楽しんだり、高校生活を思い切り満喫してほしいです。
勉強も大事ですが、高校生活は一度しかありません。今でも「あの頃もっと遊んでおけばよかったな」と思うことはあります。
数学・英語・現代文だけはコツコツ積み上げてほしい
一方で、高1から少しずつ頑張ってほしい教科もあります。
僕なら、数学・英語・現代文の3つを挙げます。
数学は基礎ができていないと、高3で応用問題を解く段階になって一気につまずきます。英語も単語や文法は毎日の積み重ねです。
そして意外と大事なのが現代文です。日本語を正しく読む力は短期間では身につきません。少しずつ積み上げていくことが大切です。
逆に古典や漢文は、もちろん早く始めるに越したことはありませんが、優先順位で言えば後からでも十分巻き返せる科目だと思っています。
塾には通っていたけれど、高1から必須ではないと思う
僕は高1から塾に通っていました。
ただ、今振り返ると、高2からでも十分だったかなと思っています。
学校の授業を理解できていて、自分で勉強する習慣があるなら、高1の段階で無理に塾へ通う必要はないと思います。
東大を意識し始めたのは高1の夏
僕が東大を目指そうと思い始めたのは、高1の夏頃でした。
周りを見ていると、東大を目指す人は大きく2パターンいました。
一つは、成績的にも東大が狙えそうだから目指す人。
もう一つは、友達が東大を目指していて、「自分も頑張ってみようかな」と挑戦する人です。
最初から強い覚悟を持っている人ばかりではありません。案外、そんな小さなきっかけから始まる人も多かった印象があります。
まとめ
高1の自分を振り返ると、特別なことはしていませんでした。
授業をちゃんと受けて、部活を頑張って、友達と遊んで、数学・英語・現代文だけはコツコツ積み上げる。
今思えば、それくらいがちょうど良かったのかなと思います。
高1は、受験だけを考える時期ではありません。高校生活を楽しみながら、少しずつ未来の自分への貯金をしていく。そんな過ごし方が、一番おすすめです。
※本記事の掲載情報は最新ではない、または正確でない可能性があります。最新情報は必ず大学の公式ウェブサイトやUTAS等でご確認ください。
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サーオリってなんですか?
サーオリ(サークルオリエンテーション)は、 新入生が興味のあるサークル・学生団体を“狙って”見学・体験できる新歓イベントだよ。
サーオリでできること
東京大学の新歓期間中に、各団体が個別に開催するイベントで、
- 団体の活動説明をしっかり聞く
- 実際の活動を体験・見学する
- 先輩や現役メンバーと話す
「入るかどうか判断するための場」として使えます。
いつ・どこでやるの?(※今年度)
- 4/3(文科生)・4/5(理科生)
場所は
- 駒場キャンパス内の教室
- グラウンド・体育施設
など、団体ごとにバラバラ。
開催情報はどこで分かる?
- テント列でもらうビラ
- 各団体のSNS
- 東京大学教養学部オリエンテーション委員会 公式サイト
- 当日配布されるパンフレット
『サーオリの歩き方』
→情報源は複数あるので、1つに絞らなくてOK。
テント列との違いは?
テント列
- 3/30(理科生)・3/31(文科生)に実施(※今年度)
- 諸手続き後に順路で見て回る
- 多数の団体を一気に知る場
サーオリ
- 興味のある団体を選んで参加
- 体験・見学が中心
- その後の新歓に参加するかの判断向き
行かなきゃダメ?
完全に任意です。
- 行かなくても不利にはならない
- ただし、入会を考えている団体があるなら行くべき
※ クラス写真の撮影も同日に行われるため、
撮影後にそのまま参加する人が多い。
よくある勘違い
- 「参加したら入らないといけない」→ ❌
- 「初心者は行きづらい」→ ❌
どの団体も新入生前提で説明してくれます。
ひとこと補足(先輩目線)
- とりあえず興味ある団体は多めに回るのがおすすめ
- 合わないと思ったら途中でやめてOK
- クラス写真のあと、同クラと一緒に回るのもあり
まとめ
- サーオリ(サークルオリエンテーション)は、興味のあるサークルや学生団体を選んで見学・体験できる新歓イベント
- テント列が多くの団体を一度に知る場であるのに対し、サーオリは活動内容を詳しく知り、入会するかどうかを考えるための場
- 各団体が個別に開催するため、教室やグラウンドなど場所や内容は団体ごとに異なる
- 参加は任意で、参加したからといって入会する必要はない
- テント列で気になった団体を、サーオリで実際に見てみるという流れが一般的
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テント列ってなんですか?
諸手続き後に行われるサークルの新歓の入口にあたるイベントです。
日付・概要
今年度は、 3/30(理科生)・3/31(文科生)に行われます。
諸手続き直後、同じ流れで行われるため、避けて通るのは難しいです。
屋外には運動系のサークルや部活が、屋内には文化系のサークルや学生団体などが並び、
その中を誘導と人の流れに従って通り抜ける形になります。
テント列でできること
- サークル・学生団体の説明を聞く
- ビラ・資料をもらう
- 新歓イベント(食事会・体験会)の案内を受ける
- 先輩に直接質問する
「とりあえず話だけ聞く」場所として考えればOK。
サーオリとの違いは?
テント列
- 諸手続き後に、順路に沿って見て回るイベント
- 多くの団体の話を一気に聞いたり、ビラをもらうのが中心
- 特定の団体を狙い撃ちするのにはあまり向いていない
サーオリ(サークルオリエンテーション)
- 4/3(文科生)・4/5(理科生)に実施
- 興味のある団体を選んで、体験・見学・説明を受けられる
- 「本命候補」を深く知るための場
よくある勘違い
- 「勧誘を断れない」→ ❌
- 「入会をその場で決めないといけない」→ ❌
断ってOK、聞くだけOK、途中で抜けてもOK。
補足
- 人は多いけど、全部真面目に聞く必要はない
- 気になるところだけ拾い歩きで十分
- テント列=情報収集、サーオリ=本格検討、という使い分けがおすすめ
まとめ
- テント列は、諸手続き後に順路に沿って多くの団体を見て回り、サークルや団体の全体像をつかむための新歓イベント
- サーオリは、各団体が個別に行うオリエンテーションで、活動内容の説明や体験を通して入会を検討するための場
- テント列は情報収集が中心、サーオリは入会判断に向いたイベント
- 一般的には、テント列で気になった団体を見つけてサーオリに参加するという流れ
- どちらも参加は任意で、その場で入会を決める必要はない
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工学部航空宇宙工学科 学科紹介
基本情報
人数 60人程度
男女比 男:女で9:1ぐらい
2Aセメスターのキャンパス 週4駒場、週1本郷
ウェブサイト こちら
どんなことを学んでいますか?
今(2Aセメスター)は古典力学と数学はもちろん航空宇宙工学の基礎となる流体力学、熱力学、プログラミング、材料力学、製図など幅広い内容を学んでいます。3年生以降で学ぶことに関しても2年生で学習した内容の積み上げのような印象です。研究室主導のものづくり研修ではグループで構造・回路・制御系を1から開発して自律的に動くロボットを作りました。
学科内の縦横のつながりは?
僕個人の体感ではあるんですけど、
10段階で言えば横のつながりが7、縦のつながりが2です。
五月祭では3年次に「宙人(そらんちゅ)」という名前で企画を毎年実施していて、飲食・物販・展示・体験など様々な分野で出展しています。2Aセメスターのものづくり研修や3SセメスターのARLISS(模擬人工衛星開発)などの研究室主導のプロジェクトもありそこでも学年内で仲を深められます。学科には学科ラインが毎年年度ごとに作られていいます。slackもありますが、主に業務連絡です。
縦のつながりは五月祭、ものづくり研修、ARLISSに参加しなければほとんどないです。
進学して良かったところは?
元々航空宇宙工学にかなり高い興味を持っていたり、経験を持っていたりする学生が多いので、刺激を受けながら勉強できるし、助け合うことができます。また、航空宇宙分野に関わる分野とはいえど、幅広い分野について学ぶことができるので将来の研究に向けて興味を広げやすいです。
研究室主導の2年次のものづくり研修、3年次のARLISS(模擬人工衛星開発)などものづくりの実力をつけられ、学科内外での横のつながりも強められるイベントが存在するので、人間関係的な面でも学業的な面でも刺激的な日々を送ることができます。
進学してきつかったところは?
幅広い分野について学ぶ分、やっぱり勉強に対するキャパは大きくなければいけなくなります。正直興味がない分野の授業もあるので、その授業の単位を取るのは精神的にもキャパシティ的にもしんどいです。また、座学の授業が多い分試験も多く難易度も高いので、試験対策にはかなりの労力が必要です。
学科を志望したきっかけは?
小さい頃からロケットや人工衛星が好きで、中高でもなんとなく航空宇宙工学を学ぶんじゃないかと思ったら結局ここまで来ました。韓国語をはじめとして言語の勉強が大好きなのですが、それは別に趣味でやればいいと思ったし、何よりも航空宇宙工学に無限の可能性とロマンを感じたため志望しました(適当でごめんなさい)。また、昨今のAIの発展などの煽りを受けて工学部の電電や電情、計数にも行こうと思ったのですが、国公立だと東大と名大ぐらいしかなく、名前に反して幅広い分野を学ぶことができる(要はAIを勉強できる研究室もある)航空宇宙工学科がいいという結論になり、航空宇宙に決めました。
進学選択で迷った学科は?
前の質問で答えたように工学部だとEEIC(電電・電情)や計数工学科で迷ったのと、言語系だと教養学部地域文化研究科で悩みました。
入る前とのギャップは?
進振り前から持っていた忙しく勉強が難しいと言うイメージそのままです。真面目な人が多いと思っていましたが、真面目なのは大前提としてちゃんと遊べている人が多く驚きました。
進学を考えている後輩に一言!
総合科目F系列の図形科学入門Aを取りましょう!進振りの第二段階で履修点が加算されるのと、各種研修や製図の授業で非常にそのスキルは役に立ちます!
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留年についての相談はどうすればいいですか?
なぜ留年するかによって異なります。自分がなぜ留年するのかをまずは把握しましょう。
おすすめ留年の相談先
1.進学情報センターの相談室
- 場所は1号館2階160室、開室時間は平日の10:00~17:00
- 進学情報センターは資料室と相談室に分かれています。
- 資料室
- コンピュータを自分で操作して、進学選択第一段階の点数分布などの最新の進学情報を検索できます。
- 各学部の「便覧」、「授業案内」なども閲覧できます。
- 相談室
- 専任教員が個人的な進学相談に応じています。
- 成績的に進学できるか不安、、、という人はここで相談可能!
- 専任教員が個人的な進学相談に応じています。
- 資料室
注意点
- 相談の予約は、進学情報センター資料室内の予約窓口で行います。
- メールでの相談も可能です。
- 相談時間は1回最長50分で、継続的な面談となります。

2.東京大学 駒場学生相談室
- 臨床心理士・公認心理師などの専門スタッフが履修や単位、留年の悩みに対して相談に乗ってくれます。
- 場所は1号館3階、開室時間は月曜から金曜の午前10時〜午後5時です (昼休みの午後1時〜午後1時50分と祝日除く)。
- Web、来所、電話で予約が可能です。
注意点
- 完全予約制です。
- 予約状況によっては待ち時間が発生する場合があります。

3.学生留学アドバイザー
- 留学を見据えた留年の相談ができます。
- 留学経験のある学生アドバイザーが留学のあれこれや手続きについて教えてくれます。
- 授業期間中の昼休み(12:10〜12:55)と15:00〜16:00に対面とオンラインの両方で相談を行なっています。
- 対面の相談場所は21 KOMCEE WEST B1 グローバリゼーションオフィス前です。
- 予約は不要です。
注意点
- 留学プログラムへの申込や奨学金情報、留学に関するその他事務的な手続きに関しては教務課国際交流支援チームに直接相談したほうがいい場合があります。

具体的な手続き
(1年生)もう一回1年生をやり直したい
- 落単した科目を2年次の他クラス聴講としてではなく1年生の間に再履修したい
- 1年生をとりあえずもう一回やりたい
以上のような時は、1Aセメスター終了時に3月の定められた日までに「自主留年届」を提出することにより、留年することができます。
※2 年生に進級後、単位未取得の基礎科目(外国語・情報・初年次ゼミナール文科・自然科学)を他クラス聴講として履修する場合には、上限点は 50 点または 75 点となりますが、1 年生として再履修する場合、各科目の上限点は 100点となります。進振り戦略をよく考えて自主留年しましょう。
(2年生)進学内定を辞退したい
2Aセメスターに進学内定辞退届(フォーム)を提出します。例年1月頃に締め切りが設定されているので注意しましょう。
この場合留年扱いとなり、次のセメスターは2Sセメスターからスタートすることになります。
まとめ
- 留年については一人で悩まずに目的に合わせて様々な機関に頼ってみましょう。
- 自主的な留年は自分がなぜ留年するのかをよく考えた上で期限等に気をつけて行いましょう。
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サークルを作るより、続ける方が難しかった。みそ汁サークルを立ち上げて
2026年1月、私は「東京大学みそ汁サークル」を立ち上げました。みんなでみそ汁を作り、いずれは駒場祭にも出展したい。そんな構想から始めたサークルでした。
ただ、実際に活動できたのは4月と5月の新歓3回まで。今は活動していません。振り返ると、サークルを立ち上げるところまでは進められても、それを続けていくのは思っていた以上に難しかったです。今回は、立ち上げから活動が止まるまでを振り返ります。
「卒業しても続くサークル」にしたかった
きっかけは、周りにサークルを立ち上げた人が複数いたことでした。それを見て、自分も何か作ってみたいと思いました。
テーマに選んだのが、みそ汁です。私はみそ汁が一番好きな食べ物で、具材や作り方の違いも含めて研究しがいがあると思っていました。みそ汁に特化したサークルも、少なくとも私は聞いたことがありませんでした。
いろいろなみそ汁を作って検証したり、他のサークルとコラボしたり、秋の駒場祭で販売したり。「みそ汁と言えば東大」と言われるようになりたい、世界にみそ汁を届けたい、とまで考えていました。
そこは夢に近かったですが、本気で考えていたのは、自分が卒業しても続くサークルにすることでした。
副責任者はいた。でも、結局ほぼ一人で動いていた
最初は、授業で話したときに「面白そう」と言ってくれた人と2人で始めました。その人には副責任者になってもらいました。
ただ、相手が忙しかったこともあり、実際の活動にはほとんど参加していません。2026年に入ってからは一度も顔を合わせておらず、結果的には副責任者として名前を貸してもらっただけのような状態になりました。
もともと仲の良い友人ではなく、たまたま授業が一緒になった人だったので、こちらから仕事を頼むのも難しかったです。運営はほぼ一人で進めていました。
私は別のサークルで新歓担当をした経験があります。それでも、すでにあるサークルの新歓と、何もないところから新しいサークルを作るのは全く違いました。「これはいけそうだ」という感覚はなく、戸惑いしかありませんでした。
今振り返ると、打ち合わせも兼ねてご飯に誘うくらいはすればよかったと思います。副責任者だけでなく、もっと早い段階で他の人も巻き込みたかったです。
好きな具を聞いて、3回のみそ汁新歓を開いた
1月に新歓へ申し込み、テント列とサーオリに当選しました。その後、4月と5月に計3回、目黒区内の住区センターで新歓を開きました。
毎回、参加者に好きなみそ汁の具を聞き、それをもとに私が買い出しに行きました。人気だったのは、とうふ、わかめ、ねぎ、なめこなど。参加者と一緒にみそ汁を作り、ご飯も炊いて食べました。
私はみそ汁作りには慣れていたので、調理中はある程度指示を出しながら、一緒に手を動かしていました。
参加人数は、記憶では1回目が8人ほど、2回目が5人ほどだったと思います。ただ、ここは正確には覚えていません。
3回目は、自分を含めて3人でした。
3回目は3人。追加募集をしても増えなかった
3回目の参加者は、私と新入生2人でした。参加フォームを集計していたので、開催前から人数が少ないことは分かっていました。
「あまりにも少なくてまずい」と思い、公式LINEでもう一度募集しました。
「今回の新歓は参加者が少なくなっています。大学・学年問わず、参加を歓迎しております。友人を連れてくるなども大歓迎ですが、その場合もフォームの記入をよろしくお願いします。」
それでも参加者は増えませんでした。全然集まらなくて、かなり焦りました。
新歓自体は予定通り開催しました。ただ、自分を含めて3人しか来なかったことで、ここでかなり気持ちが切れてしまったのだと思います。
その後も「時間があるときに、6月くらいにまたできたらいいな」とは考えていました。でも、「また人が集まらなかったら」と思うと憂鬱でした。
入りたい人はいた。それでも次の活動まで進めなかった
新歓では、「入ります」と言ってくれた人も6人くらいいました。ただし、名簿を作ったり名前を控えたりしていたわけではありません。
新歓に来てくれた人には公式LINEを追加してもらっていて、「また活動に参加してね。そのうち入会フォームを作るから、それを記入して入会してね」と伝えていました。本入会の段階になったら、公式LINEでフォームを案内するつもりでした。
一方で、運営では日程調整、場所取り、参加フォームの作成、参加者の集計、食材の購入、告知作成などを一人でやっていました。「次に何をするか」「いつ、どこでやるか」も自分で決めなければなりません。
自分自身が忙しかったこともあり、だんだん準備すること自体が面倒になりました。そこに「また人が集まらなかったら」という気持ちも重なって、次の活動を企画しないまま止まりました。
今年の駒場祭への出展も考えていましたが、そこまで活動を続けることはできませんでした。実質一人で運営していたことや、3回目の新歓を経てやる気が落ちていたこともあり、出展に向けて動くところまでは進みませんでした。
もう一度やるなら、最初に「運営する人」を集める
もしもう一度サークルを立ち上げるなら、最初にやるのは協力者探しです。
実際に一緒に運営する人を集め、そのメンバーだけで一度ご飯に行って、決起集会のような場を作りたいです。そこでそれぞれの担当を決め、私は全体を見るリーダーになる。さらに、定期的にオンラインで定例を開き、タスクやスケジュールを整理しながら進めたいと思います。
今回のサークル立ち上げは、私の中では失敗でした。駒場祭に出展するところまで行けず、自分が卒業した後も続くサークルにするという目標にも届いていません。
それでも、自分で一からやってみたことで、サークルを作ることの難しさは分かりました。
失敗だったけど、いい経験になった。今はそう振り返っています。
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